POV-football blog ‐サッカーのミカタ-

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サッカー・フットボール・蹴球と呼び方はそれぞれあれど、その見方を中心に、戦術・技術・組織論を展開していきます。

2018ロシアW杯|セネガル戦で遂に覚醒した「日本化された日本流のサッカー」

さてさて。
コロンビア相手に日本が勝利したことで、風雲急を告げる大混乱状態のHグループ。

 そんな中お互いに1勝同士での対戦となったセネガル戦。結果は2-2の引き分けとなりました。初戦のコロンビア戦は試合開始早々相手に退場者が出たことで日本の実力をはっきりと測れませんでしたが、第2戦目となる今回でようやく日本チームの真の姿がわかってきました。

良かった(改善された)点

  • マイボールの時、長谷部と柴崎が交互にDFラインの中央に落ちてきて、ボールを捌いていた。また、サイドバックを高めに上げて、空いたスペースに長谷部と柴崎が動いてフリーになってボールを受ける動きもあった。とくに柴崎に良い態勢でボールを捌いてもらおうというチームとしての意図がはっきりあった。

  • プレッシャーをかけるタイミングにメリハリがあった。以前までに見られたFW-MF-DFで相手にプレッシャーをかけるタイミングがズレてしまうチグハグさが解消されていた。前に行く時と待ちの時の判断がチーム内で共有されるようになった。

  • 遅攻の場面で、無理に中央突破を仕掛けることがなくなった。そのため、危ないカウンターをくらう回数が随分減った。また、一発のミドルパスで裏抜けする動きも出てくるようになり、チームとしてのダイナミックさが発揮されるようになった。

こうした改善点と本田選手をベンチスタートさせたことはかなり密接に関係しています。本田選手は運動量が極端に少ないため、チーム全体で連動する守備の妨げになっていました。またショートパスを使った中央突破に拘りターンオーバーを誘発し失点の原因になることも多かったのです。

加えて裏抜けする動きもできないし、ドルブル突破するスピードもないため、攻撃時のスピードとダイナミックさにブレーキをかけてしまう存在でもありました。しかしその得点力は捨てがたい。そこで西野監督は相手の体力が落ちた後半の後半に起用することに決めたようです。

そうすることで、チーム全体の守備力と運動量を保ちつつ、勝負どころでは守備力を落としてでも一点を取りに行くというチーム内での意思統一が図られたように思います。

悪かった(改善されなかった)点

  • 個人的な能力の話になってしまうけれどもやはりGKの問題は大きい。コロンビア戦に引き続き今回のセネガル戦でもGKの個人的なミスで失点をしている。勝っている場合は選手を代えにくいとは思うけれども、川島選手にはお休みいただく必要があるように思う。

  • ペナルティエリア内の守備が全く上手くいっていない。人数は揃っているのに逆サイドに振られるとなぜかフリーで走りこまれているし、かなりの確率で失点してしまう。ボールだけを見て、自分の裏側(逆サイド)のスペースをケアできていない。正直これでは守りきれない。

決定力についてはいまさらというか、W杯前はあまりチャンスも作れなかったので、得点機会を増やすということに注力してもらえれば良いのではないでしょうか。1試合2得点ペースなのでむしろ攻撃はうまく行っていると考えてよいでしょう。問題はむしろ守備の方です。

日本化された日本流のサッカー

それにしても今回の日本チームはこれまでの日本サッカーのW杯経験を集積したような戦いを見せています。そしてそのポイントは、攻めているのかいないのか釈然としないボールキープにあります。

日本はパスをつなぐわけですが、それが必ずしもシュートに直結しません。パスを回している間に、自分たちのパスミスタッチラインを割ってしまうことも多々あります。でもそれで良いのです。パスを回している間は相手からの攻撃は受けないため、日本からすれば攻撃しながらも防御をしている感覚なのではないでしょうか。

そしてそれが対戦相手にとっては釈然としないポイントです。「なんでこいつらはボールを握っているのに攻めてこないんだろう?」となるわけです。攻めと守りがはっきりとしないため、相手のリズムも狂ってきますし、ゲーム内容もダラダラしてきます。反対に日本の選手にはそれが安心感につながってきます。

日本の選手がシュートを打たずにバックパスしても決してがっかりしてはいけません。それこそが狙いなのです。そうした事を繰り返す中で相手の気の緩みにつけ込み、突然テンポアップして縦パスを入れたり、サイドを突いたり、DFの裏に走りこんだりする攻撃を見舞うのです。

思えば4年前のブラジル大会では、パスをつないでつないで「攻め倒す」という強迫観念にも似た思いが選手を縛っていたように思います。しかし4年間の経験値(知)は、攻か守かという単純な二元論を超越したもう一つ上のステージへと日本サッカーを推し進めたようです。

それはあえて名付けるならば、攻撃と守備の間を忖度しながらまったりとしたパスワークで埋めていく、曖昧で自己主張のない「間(ま)のサッカー」とでも呼べるものです。これこそが日本が目指す日本化された日本流のサッカーなのではないでしょうか。

初出場した98年のフランスW杯から20年が経ちました。西洋世界で誕生としたFootball(サッカー)というスポーツの東洋的解釈を果たした日本は遂にサッカーを日本化することに成功しました。そういう意味でセネガル戦は日本サッカー史における念碑的な試合であり、我々はその歴史的証人となったのです。

決勝トーナメント進出をかけたポーランド戦も、攻めるでもなく守るでもない曖昧な時間帯を作ってやり過ごし、勝利をもぎ取ってください。

ではでは。 

 


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