POV-football blog ‐サッカーのミカタ-

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サッカー・フットボール・蹴球と呼び方はそれぞれあれど、その見方を中心に、戦術・技術・組織論を展開していきます。

リオ五輪|金メダル獲得競技にみる日本らしさ

さてさて。

早々に日本代表が敗退したサッカー競技は、ブラジルが悲願の初優勝を達成。

リオ五輪は閉会を迎え、セレモニーでは安倍マリオが土管を通って登場。聖火は東京に引き継がれた。

今大会、日本選手団は女子選手が活躍し多くの金メダルを獲得。全体の獲得メダル数も過去最多と大躍進を遂げた。

当ブログはサッカーの見方を中心に記事をアップしているのだけれども、金メダルを獲得した競技から日本人的な特性が見えてくるではと思い、少し分析的な記事を。

金メダル獲得競技の傾向

まずは、金メダル獲得選手をあげてみる。

20160819

内訳は、以下の通り。

  • レスリング4(女)
  • バドミントン2(女)※ダブルス2選手
  • 水泳(男1/女1)
  • 体操個人総合1(男)
  • 体操団体1(男)
  • 柔道(男2/女1)

こうしてみると、一定の傾向が見えてくる。

それは、獲得した金メダルは、全て個人競技であること。ものによってはダブルスや団体戦があるが、いずれも個人戦がベースになっていること。 ※女子選手の活躍が目立つ点については、それだけで長い記事になりそうなので、ここでは触れないでおきます

日本人は個人競技が得意か

では、こういった傾向から「日本人は個人競技が得意なのだ」という結論を導き出せるか、といったら、それはいささか性急であるように思う。

というのも全28競技・種目のうち、団体競技といえるのは、5競技(球技)のみなので、必然的に団体競技で獲得できるメダルの数は限られるからである。 ※シンクロナイズドスイミングについては、ペア戦もあるためカテゴライズが難しく、保留にしています

単純に「個人競技団体競技」とは言えないだろう。

ただ、団体競技が苦戦しているとは言えるかもしれない。競技によってバラつきはあるかもしれないけれど苦戦の理由を想像してみると、

  1. 国内の競技レベルが世界水準に達していない
  2. 競技レベルの高い選手を複数揃えるのが難しい
  3. チームのマネジメント方法が確立されていない
  4. 協会のマネジメントがうまくいっていない
  5. トップレベルの指導者の不足
  6. 育成年代の指導者が競技特性を理解していない

こんなところだろうか。

協調性とチームワークと団体競技

さきほど挙げた点については、予算や組織的な取り組みである程度は改善可能かもしれないので、次にもう少しふんわりした、全体的に漂う苦戦の理由を考えてみたい。

「日本人は協調性があってチームワークが武器なのだ」

メディアも選手も指導者もよくこういうことを言う。

たしかに、協調性やチームワークはあると思う。ただし、それはあくまで個人の競技をベースとしたうえでの話だ。

たとえば「あの人が頑張っているから私も頑張ろう」とか「勇気をもらった」とか「チームメイトのミスは私が取り返す」とか、そういった類の話だ。

もう少し言うと、「あの人はあの人で頑張っている」そして「私は私で頑張る」式の高め合いや共感といった相互作用のことを、協調性やチームワークと呼んでいるのだと思う。

「情緒」と表現してもいいかもしれない。

つまり、日本人は情緒をベースにした協調性やチームワークが成立しやすいのではないか。

では、100%団体競技である球技についてはどうだろうか。

球技における協調性とチームワーク

球技における協調性とチームワークは、先ほど説明した情緒式のもとは質的に異なるだろうと考えられる。

情緒式は、あくまで個人競技へのトッピング的効果しかもたらさないが、球技における協調性・チームワークは、競技特性上必要とされるものだからである。

そして、この意味における協調性・チームワークというのは、「チームの目的を達成するために、各々のタスクをリーダーシップを伴いつつ実行し、全体最適を目指す」ためのものである。

つまり、それぞれがそれぞれの「機能」を果たすための、協調性・チームワークである。

「機能」式と表現してもいいかもしれない。極端に言えば、「機能を果たすための行動そのもの」が、協調性・チームワークなのではないだろうか。

もっとも、情緒式と機能式は質が違うため、同居はできるだろう。

ただ、協調性・チームワークのベースが情緒式になってしまったチームは、球技において成功を納めることは難しいと思われる。

情緒の根っこは感情であり、つまるところ好き嫌いだからだ。

移ろいやすく、不安定なのだ。

まとめ

日本の球技を観戦していて、「良い時は良いが、崩れるときは一気に崩れる」という場面を何度もみてきた。そのたびに「ナイーブだなあ」という感想を持つのだが、それは情緒式のチームワークをベースにしているからではないだろうか。

お互いに「好き好き」なときは「チョーいい感じ」なのだが、不安になると一気に疑心暗鬼になって誰も信じられなくなる。なんだか中学生の恋愛みたいだ。

上手くいかないとき、不安なときに、どこに・何に立ち還るのかが重要なのだろうと思う。 ※宗教的な理由もあると思うけれど、話が長くなると思うので割愛します

その点、個人競技はどこまでいっても個人が責任をとることは明白なので、わかりやすいし、情緒に頼る必要がない点で安定的であるといえる。

他方、球技は、協調性・チームワークそのものが、チームの結果に直結しているので、取り扱いが難しい。ただし、情緒式をベースにするのでなく、機能式をベースにトレーニングされていれば、大崩れは少なくなるだろう。リスクヘッジとしても有効だ。

ちなみに、球技といっても野球はその他の球技とは性質が異なると思う。野球の本質は、ピッチャーとバッターの1対1の対決にあって、間があり、攻守がセットされているという特徴をもつ。つまり個人競技の集合体といってよい。そういう競技の場合は、情緒式の協調性・チームワークが機能すると思う。

日本で野球が好まれるのにはそういう背景もあるのではないだろうか。

 

ではでは。


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