POV-football blog ‐サッカーのミカタ-

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サッカー・フットボール・蹴球と呼び方はそれぞれあれど、その見方を中心に、戦術・技術・組織論を展開していきます。

ハリル解任?改めて考えるべき日本代表監督選考の問題点

さてさて。

8月31日に行われるW杯アジア最終予選オーストラリア戦を前に、次のような噂が浮上中。 田嶋会長が最終決断、豪戦結果次第でハリル監督解任(日刊スポーツ)

いちおう全文を掲載しておきます。



ハリルの評価

ハリルホジッチ監督の評価なのですが、成績だけをみれば可もなく不可もなくといったところでしょうか。アジアカップでは準々決勝(トーナメント初戦)で敗退となりコンフェデレーションズ・カップの出場権を獲得できませんでしたが、W杯最終予選では2位と勝ち点1差での首位ですから。

またハリルを監督に選出したのは「カウンターを強化したい」との理由からだったわけで、体が強く縦に速い選手をセレクションしていることからも、日本サッカー協会のオーダー通りに代表チームをマネージメントしていることがうかがえます。可もなく不可もなく。

ただ、選手選考が海外組に偏りすぎなこと、本来のポジションとは異なる選手配置をみせること、効果的な選手交代ができないことは観ている者を不安にさせるし、カウンター一辺倒の戦い方によって自らの優位性を失うことが散見されるのは大きなマイナスポイントでした。

とはいえ、前回W杯で監督を務めたアルジェリア代表の戦い方をみれば、体の大きい選手を並べ奪ったボールをカウンターに繋げるというシンプルなやり方を徹底するのは明らかであり、それを踏まえたうえでの選出なのですから、今のタイミングでの監督解任示唆はハリルからすれば納得できないものでしょう。

というわけで私の考えは《ハリルは自分の流儀通りにやっており、現状予選グループ内で首位を維持している。したがってオーストラリア戦の成績が引き分け以下であっても解任というのは筋が通らないのではないか》といったところです。

代表監督選考のその前に

考えてみれば、これまで日本サッカー代表監督は4年間の期間「日本サッカーをよろしくお願いします」と丸投げされてきた存在だったように思います。トルシエしかりジーコしかりオシムしかりザッケローニしかり。

このやり方は協会にとっては都合いいものでした。「彼に託してあるので協会はそれを全力でバックアップします」という責任回避のメッセージとともに。しかしながら過去の蓄積を発展させる継続性に欠けるのがこのやり方の最大の欠点です。

そもそも極東の強国ではないチームの代表監督というのは、すでに名声ある監督にとってリスクでしかなく、野心ある無名監督あるいは峠を過ぎたかつて一流だった監督には魅力的なものに映ります。ヨーロッパとは随分環境の違う特殊性を考慮しながらのタスクであることはあまり話題になりませんが。

じつはそれが日本代表強化のネックになっているのです。そのポイントはざっと以下のようなものになるでしょうか。

  • アジア予選とW杯本戦のレベルにかなり開きがあるので、アジア仕様と本戦仕様両方の戦い方を整える必要がある
  • Jリーグの開催時期がヨーロッパとは真逆になるので、海外組の体調が整いにくい
  • 海外組は国内選手より優れているかもしれないが、所属チームで主力になっている選手はいない
  • Jリーグのサッカーはガラパゴス化しているので、能力のある選手も世界基準に照らせば劣って見えてしまう
  • 代表強化試合が国内で行われることが多く、強豪国とのマッチメイクが困難

日本に関心のある外国人監督だったとしても、これらのポイントを理解するのに最低でも1年はかかるでしょう。そして、わかった頃にはアジアカップやW杯予選は始まってしまいます。するとどうなるかは明らかで、すでに実績のある海外組を重用することは当然の帰結になります。

なぜかと言えば、代表監督のノルマは《アジア予選を突破してW杯本戦出場を果たすこと》だからです。結果が出れば良いわけで上記のネックポイントを解決するために雇われているわけではないのですから。これでは継続性のある発展的な代表強化など望めるわけもありません。

代表監督とはひとつのプロジェクト部門長

今回のW杯アジア最終予選の残り2試合はどちらかに勝利すれば予選突破が決まるわけですが、8月31日のオーストラリア戦に負けた場合、ハリルを解任して博打にでるというのもそれなり一理あると思います。とはいえ、それが吉と出たにしても2014年W杯敗退後からのプロジェクトが失敗したことの証明にしかなりません。

日本サッカー界はこれまで《先生に教えを乞うまじめな生徒》だったわけですが、今は《生徒から学生》へと移行しつつあるように思います。世界の強豪国のサッカー人を社会人とすると日本のサッカー人はまだまだだけれどもようやく大学生あたりに到達したレベルと言えるでしょう。

大学生は自分のアイデンティティを獲得する時期で、オシムはそれを「日本のサッカーを日本化する」という言葉で説明しました。大学の教授然としたオシムでありましたが、当時の代表選手および協会関係者には、大学にはゼミがあり議論があり批判的思考が求められることが伝わっていたでしょうか

かつて選手たちはひとまず海外留学のような形で移籍を果たし、今では戦力と認められての移籍も増えつつあります。そうであるならばサッカー協会も教えを乞う立場から、研究・立案・行動のできる社会人へと変貌を遂げるべきでしょう。

必要なのは《先生としての代表監督》ではなく、《プロジェクトの一部門長としての監督》です。あくまでプロジェクトリーダーはサッカー協会なわけであり、責任を引き受ける主体ははっきりさせておかなくてはなりません。

個人的には、日本人の監督を据えるべきだと思います。なぜならばすでに挙げた5つのネックポイントについては理解しており説明する必要がないからです。著名な外国人監督はスーパーバイザーとして雇えばいいのではないでしょうか。

ちなみに前回のW杯で盤石の優勝を遂げたドイツの成功の裏には、10年以上の期間をかけた継続的な代表強化プロジェクトの存在がありました。アギーレからハリルホジッチへ引き継がれたものはなく、おそらくハリルホジッチから引き継がれるものも見当たらない日本としては羨ましい話です。

ではでは。


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