日本代表|MFの選択とW杯の結果|2002年日韓大会
さてさて。
サッカーにおいて、もっとも監督のカラーが出るのは選手選考だが、そのなかでもMFはチームの特徴を反映しやすいものだ。
そこで、選出されたMFに注目して、歴代(2002-2014)の日本代表(W杯時)メンバーを振り返ってみようと思う。
というのも、そこに一定の傾向がみてとれるのではという予感が、ふと思い浮かんだからだ。
今回は、まず2002年の日韓大会について。
監督は、フィリップ・トルシエ。
成績は、GL突破(2勝1分) → 決勝トーナメント1回戦で敗退。
代表選手23人中MFは以下の11人だった。
氏名 | 攻守のバランス | ポジション |
稲本潤一 | 守備>攻撃 | 中盤全般 |
福西崇史 | 守備>攻撃 | 中盤全般 |
服部年宏 | 守備 | 中盤全般 |
明神智和 | 守備 | 中盤全般 |
戸田和幸 | 守備 | 中盤全般 |
小笠原満男 | 攻撃>守備 | 中盤全般 |
市川大祐 | 攻撃>守備 | サイド |
三都主アレサンドロ | 攻撃 | サイド |
中田英寿 | 攻撃 | トップ下 |
森島寛晃 | 攻撃 | トップ下 |
小野伸二 | 攻撃 | サイド |
基本フォーメーションは3-5-2。
とくに3人のDFが横一列に並ぶ「フラット・スリー」がこのチームのウリだった。
もうひとつ特徴的だったのは、小野伸二を左サイドのプレッシャーの少ないエリアで使ったこと。右サイドは明神が務めることが多く、左右非対称なフォーメーションは目新しかった。
全体的にフィジカルが強く、守備時に体を張れる選手で構成されていた。
中村俊輔の落選が話題になったが、おそらく、トルシエは守備に不安のあるファンタジスタ系選手の枠は1つに限定しており、なおかつ左サイドで使うということも決めていたのだと思う。
ちなみに、中村はトップ下での起用を訴えていたが、そこは中田の指定席で、そうしたポジションの拘りも落選の一因になったと考えられる。
基本フォーメーションは3-5-2であるため、MFがチームの半数を占めることになり、11人と多めの選出。
そのうち守備に比重を置いた選手は、稲本・服部・福西・明神・戸田の5名となっており、中盤でのボールの奪い合いを重視していたことがうかがえる。
初戦のベルギー戦は2-2の引き分けだったものの、第2戦のロシアには1-0の勝利、第3戦のチュニジアには2-0で勝利した。
フラット・スリーが機能したとは言い難く、2戦目以降は選手たちが自主的にDFラインを下げて対処するなど、本来のやり方を変更することで、2戦目・3戦目を無失点に抑えることができたのは、トルシエにしてみれば「俺の言うことを聞かないで、勝手にやりやがって!」と不満が募っただろう。
決勝トーナメント1回戦(対トルコ)で、従来のメンバー構成を大幅に変更するなど不可解な采配が目に付いたトルシエだったが、それまでにため込んだ負の感情が影響したのではないだろうか。
それまでのやり方を貫いていれば、勝てた可能性はかなりあったので、なんとも非常に残念な幕引きだった。
何よりも、選手たちが全力を出し切れず歯痒くプレーする姿がもどかしかった。
ではでは。 ⇒日本代表|MFの選択とW杯の結果|2006年ドイツ大会へ続く。
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